名所・公園
天正一二年(一五八四)四月九日、長久手の原は数万の軍勢がひしめく激戦地になり、かつてない惨状を呈した。世に言う「小牧・長久手の役」のうち、長久手の戦闘の日である。 率いる将は東軍は家康、西軍は秀吉諸将、戦闘は九日未明の岩崎城に始まり、白山林、桧が根へと飛火し、仏が根での昼決戦を最後に、家康軍の大勝利のうちに終わった。 この戦闘の戦後処理を機に、家康は秀吉体制下に穏然たる勢力を持つようになり、後の天下取りへの礎を築いた。 頼山陽は、この一連の役を評して、その著「日本外史」に徳川氏論賛と題して、「公の天下を取るは大阪に在らずして関原に在り。関原に在らずして小牧に在り」と記した。 小牧・長久手の合戦の中心地で、春は桜の名所となっています。